【2nd Kitchen お弁当】知らない幕の内弁当や割子弁当の名前の由来や歴史について。 

お弁当の名前は「唐揚げ弁当」「のり弁当」のようにおかずの内容によってつけられたものと、「幕の内弁当」「割子弁当」など、おかずとは直接関係ない物があります。

幕の内弁当や割子弁当は、なぜこのような名前がついたのでしょうか?今回はその名前の由来と歴史を紹介します。

幕の内弁当と割子弁当の違い

コンビニやお弁当店でも定番の幕の内弁当は、汁気の無い揚げ物・漬物・煮物・練り物、俵型のご飯を基本としたお弁当のことです。お弁当箱の中は大まかな仕切りがつけられていることがありますが、ご飯とおかずの仕切りがあるだけでほとんど仕切られていないものもあります。

一方、割子弁当は朱塗りのお弁当箱の中を「割子」と呼ばれる仕切りで区切った形式のお弁当です。内容は松花堂弁当と似ており、懐石料理のような構成となっています。

見た目も松花堂弁当に似ていますが、松花堂弁当は器に盛った状態でお弁当箱の中に入れるのに対し、割子弁当はお弁当の中に直接盛るといった違いがあります。

幕の内弁当の歴史

幕の内弁当の原型は武士階級の中で使われてきた「本膳料理」であると言われています。

本膳料理は儀式の時に提供する料理で、懐石料理のように一品ずつ順番に出すのではなく、すべての料理をお膳に乗せて一度に出すスタイルが特徴です。食べる合間に能を鑑賞することもあったそうです。

幕の内弁当ができたのは、天下泰平の世になり武士や公家の間のみで親しまれてきた文化や習慣が庶民に広まった江戸時代中期ごろだと言われています。

庶民の間で芝居鑑賞や相撲観戦が町人の間で流行すると、鑑賞の合間に食べるお弁当が求められるようになりました。当初はおにぎりなど簡単なものが売られていたようですが、次第に本膳料理のようにおにぎりとおかずを一つの容器にまとめて提供する形式に発展し、現在のスタイルが定着しました。

「幕の内」というと相撲の「幕内力士」を連想しますが、相撲とは関係なく「芝居の幕と幕の間(休憩時間)に食べる」ということから「幕の内弁当」と呼ばれるようになったそうです。

割子弁当の歴史

割子弁当は「破子弁当」や「破籠弁当」とも表記されることがあるお弁当です。いつ・どの時代に成立した形式かははっきりしていませんが、割子を食器として使う習慣は平安時代からあり、「源氏物語」にも桧破籠(ひわりご)として登場しています。

また、江戸時代には「月やあらぬ我身ひとつの取置に」を受けて「 旅たつ秋は破篭弁当」と続ける俳諧が残されていることから、この時代には割子弁当という形式が存在・定着していたのだろうということが推測できます。

現在、香川県の小豆島で祭りや農村歌舞伎などのイベントで食べるお弁当を「わりご弁当」と呼ぶほか、東海地方ではお弁当のことを「割子」と呼ぶなど、お弁当の一形式として残っています。

まとめ

割子弁当は塗り物の容器を使用する形式のお弁当ですが、近年は「幕の内弁当」などと同様、プラスチック製の容器を使用するケースも増えています。幕の内弁当と区別がつかないものも多く、単純に「呼び名の違い」であることもあるようです。

しかし、幕の内弁当と割子弁当は別のものであり、名前の由来や歴史にも違いがあります。割子弁当には幕の内弁当には入らない「刺身」が入ることが多いなど、内容にも違いがあります。お弁当を食べる時は、その内容や容器などに注目するのも楽しいかもしれません。